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1894年の京都嵐山の屋形船

歴史

茶が京都に根づいて、およそ1200年。
私たちはその歴史の中で、200年にわたり茶を商いつづけてきた。

序章茶、京都に根づく(805–1738)

自社創業以前——京都と宇治が「茶の都」になるまで。

805

茶の種、日本へ

伝教大師最澄が唐から茶の種を持ち帰ったと伝わる。

1191

栄西、茶を説く

栄西禅師が宋から茶種を将来。『喫茶養生記』で茶を「養生の仙薬」と説いた。

鎌倉時代

宇治、茶の聖地に

明惠上人が宇治に茶を植えたと伝わり、宇治は日本の茶の聖地となっていく。

平安時代

大福茶の起源

空也上人が疫病に苦しむ人々に茶を授けたと伝わる。正月に無病息災を願って飲む大福茶のはじまり。

1633

御茶壺道中、制度化

将軍家へ宇治の新茶を運ぶ行列が制度となる。最盛期は800人を超える大行列だった。

1738

煎茶のはじまり

宇治で青製煎茶製法が生まれ、煎茶が広まる。

第一章文政元年創業(1818–1912)

文政元年(1818年)、京都・上久世に一軒の茶商が生まれた。茶を選び、見立て、届ける——今日まで続く私たちの仕事は、ここに始まった。

1818

初代、京都・上久世にて創業

初代が、宇治茶を中心とした茶商として歩みを始める。

江戸末期〜

商いは山城一円へ

二代目から四代目の時代、江戸の末から大正のはじめにかけて、商いは山城地方一帯に広がっていく。

1867

御茶壺道中の廃絶

幕府の瓦解とともに絶える。最後はわずか4名の徒歩道中だった。

1903

第五回内国勧業博覧会で京都府褒状を「煎茶」・「道明寺」で受賞

明治政府による国家規模の産業博覧会で、煎茶と道明寺の二品が審査で認められ、京都府から褒状を受けた。品質が公に顕彰された、最初期の記録である。

第二章商いを広げる(1912–1961)

時代が明治から大正、昭和へ移るなか、家業は企業のかたちを整えていく。

1927

合名会社に改組

昭和戦前期

六代目、海の向こうへ

六代目が南米・満州へ茶を輸出。PR誌を創刊し、大企業への販路を開拓した。

戦後

京都への原点回帰

通信販売網の崩壊という苦難を経て、のちの七代目が地元京都の商いへと舵を切り直す。

第三章伝統は革新(1962–1979)

1962年(昭和37年)、日本で初めての緑茶ティーバッグをつくった。きっかけは、のちの七代目が友人から見せられた、留学先みやげの一つの紅茶ティーバッグだった。「老舗のやることではない」——業界の非難は激しかった。しかし彼は、生活の洋風化とともに日本茶が暮らしから遠ざかっていく未来を見ていた。

1962

日本初の緑茶ティーバッグ

のちの七代目が、紙の産地・四国に自ら通い、機械メーカーと試作を重ねて完成させた。できた機械は同業にも開放。茶の未来のためなら、独り占めする理由はなかった。

1971

窒素ガス充填包装を導入

品質保持のための先進的な取り組みだった。

1973

お茶壺道中、約106年ぶりの復活

のちの七代目が復活させた。第1回は70余人が建仁寺から八坂神社へ。以後、毎年八十八夜に開催され、京都の初夏の風物詩となる。

第四章文化を運ぶ(1980–2000)

茶を売ることと、茶の文化を残すことは、別の仕事ではない。

1980

七代目、文化サロンを開始

七代目が始めた月例サロンは、以後30年以上・通算200回を超えて続いた。裏千家家元・千宗室氏、京セラ・稲盛和夫氏、ワコール・塚本幸一氏、哲学者の梅原猛氏ら、各界の名士が登壇した。

1982

『御茶壺道中記』を刊行

1985–88

消費者とともにつくる商品開発

小型パック緑茶、高級日本茶ティーバッグ、水出し緑茶を相次いで発売した。

1991

「平安京のおばん茶どす」発売

京番茶を古式焙煎でよみがえらせた。

1993

東海道五十三次お茶壺道中

平安建都1200年記念。京都三条大橋から東京日本橋まで約500km・15日間を551名が歩いた。

1994

アサヒビールと共同開発

缶入り京番茶を発売した。

1996

インターネット通販を開始

2000

六波羅蜜寺へ大福茶を奉納

1000年続く正月の習わしを支える。

第五章京都から世界へ

私たちの茶は、いま、世界の要人の食卓にも、街の抹茶グラスにも届いている。200年受け継いだ目利きを、世界に開いていく。

2021

京都茶の蔵株式会社へ

社名を変更。

2023

G7広島サミットで「無碍香茶」採用

菊乃井・村田吉弘氏と共同開発した茶が、世界の要人の昼食に供された。

創業から200余年。
私たちが見ているのは、創業300年の景色である。
茶の1200年の歴史のなかで、私たちの200年はまだ途中にすぎない。
伝統は革新——次の100年も、そのように歩いていく。